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健全なスピリチュアルな教師を見極めるための『グルと弟子の心理学〈1〉』

2020/05/17
書籍紹介 0


今回紹介するのは 2014年に購入した『グルと弟子の心理学〈1〉

スピリチュアルラボの指針「健全なスピリチュアル」とも相通じる内容の良書だったのでブログで紹介しようと思っていたのですが…当時は別の趣味にかまけているうちに人生にたった一度だけの運命的な出会いと別離を経験して感想を書かずにいたので、6年も経ってしまいましたが再読し感想をあげることにしました。

本書に推薦文を送っているスピリチュアル界の著名人の中に、現在も国内ビジネス界の一部で盛り上がっている『ティール組織』フレデリック ラルーに多大な影響を与えている『インテグラル理論』考案者ケン ウィルバーがいる。彼が推薦文で「専門家にも初心者にも役立つ内容が詰まっている」と書く理由は読んでみれば分かると思うが、ティール組織を作りたい思っている経営者にとっても参考になるだろう。なぜなら「グル(教師)⇔会社、弟子⇔社員」と置換して考えることもできるからだ。

本書には「健全なスピリチュアルな教師を見極める方法」が事細かにまとめられている。だけど、スピリチュアルにまったく関係がない人間関係に置き換えても考察できる情報にもなっている話が盛り込まれているので注目してもらいたい。スピリチュアルに興味がない人は「教師⇔会社・社長・上司、弟子⇔社員・部下」などと置換してコラムを読んでみてもらいたい。

女性著者マリアナ カプラン(50代)が19歳から〈霊的教師を探しまわった半生の旅〉をもとにした教師探しの失敗・成功談を例に上げて、その実体験をウィルバーのインテグラル視点から自他(弟子・教師)の心理面を批判的に考察し、経験したからこそ分かる心理的な分析内容だから的を射た説得力があるのだ。

さて書名の「グル」という用語は国内外で“胡散臭い”といった印象がついているようだ。数十年前から世界各地で起きているカルト教団の影響からだが(国内ではオウム真理教)。近年、欧米のスピリチュアル界では「教師と弟子」といった師弟の上下関係、服従を求める教師は“不健全で時代遅れな教師”とみなされてしまうむきが強いそうだ。

反対に“健全で今流行りの優れた教師”は、師弟関係を否定して皆同等だとする考え方を重視し、人に上下関係はない立場を強調するらしい。2011年の著書だが、今世界中の多くの人に受け入れられている最も多い霊的教師のタイプなのだという。

そのタイプの教師を「教師であることを否定する教師」と著者は位置づけている。霊的教師が信者(弟子)に横暴な態度や命令、性行為を強要する事件が多発したことで上下関係を否定する教師が持て囃される理由は理解できるが。

スピリチュアルな道を歩む人にとって、師弟関係を否定する関係性には教師・弟子双方にとって大きな欠陥があり、そのような師弟関係の問題点を強く否定・指摘している。

その一つをあげれば「責任放棄」だ。教師は弟子の成長を促す責任を持ち、弟子は教師を信頼し修行に打ち込む責任がある第7章〈互いに対する信頼と明け渡し〉に詳しく書かれている。要約して説明するが詳しくは本文にあたってみたもらいたい。

弟子は教師の本質を見極めて弟子入りを決意する。教師選びに失敗したとしたら、責任は自らの心や幼さに問題があると自覚しなければいけない133頁〈スピリチュアルな幼児期とスピリチュアルな成熟期〉と題したトピックがある。自分自身の責任で選んだのだから、教師の問題だけに転嫁はできない。

俗っぽく言えば「自分の考えが幼稚だったから“変な教師”を気に入ってしまった。自分が“変”だから教師が“変な人”だとに気づかなかった」というわけだ。134頁には〈幼稚な教師たち〉というトピックもある、要は「お互い様」の関係と心理分析結果がでる。

師弟関係の重要性は、この一つをあげてみても理解できると思うが、もっと身近な恋愛関係に置き換えて考えてみると分かりやすくなる。

自分が“変な異性・相手”を好きになり失敗してしまう傾向がある人は、原因を「相手のせい」にしがちかもしれない。その当時を振り返って考えてみれば、交際関係に入るのは自己責任なのだ。失敗はお互いに責任があることになる。

霊的教師を見極めて師弟関係を結ぶことは、恋愛に発展するための交際を始めることに近い。第10章〈スピリチュアルな一夫一婦制か、「浮気を重ねるか」〉という章があることから推察できると思うが、教師選びは恋人選びに近い心理側面が強いのだ。

そしてスピリチュアリティに関しては何にも増して“愛”の感情を心に焼き付けるほど体験しなければならないと著者はこう語っている。
一夫一婦制の価値

 人間的な愛の領域では、愛する相手に何年も深く献身的にかかわる経験を経ない限りは、その関係性に生まれる絆の感覚や明け渡しの感覚、深みの感覚といったものを理解することはできない。同じことは本格的なスピリチュアル教師との関係性についてもいえる。
p.210
「ポリアモリー(複数恋愛)に似た師弟関係」では“真の愛”は経験できないと断言しているのは同感だ。

私自身、2015年までは複数の恋愛関係は可能ではないかと思う支持者だったが、実際、複数恋愛では誰も愛してはいないということが分かってしまった。実体験においてこの箇所に深く同意できる。

真の愛を持つと「全ての人を愛している」と語れなくなる「すべての人を愛する人は、誰も愛していない」と思える。著者もそれに近い話を力説している。世界的なヨギ(ヨガ行者)、覚者、聖者、スピリチュアルな教師はレトリック(巧言)で「全ての人を愛している」と言っているだけで「全ての人を愛しているわけではない」、ストレートに表現すれば「神だけを愛して、人間を愛しているわけではない」のだ。宇宙、地球、人、動物、植物の中にある神の素材だけを見ている。

なんとなく分かるだろうか。

スピリチュアルな道を歩むために師弟関係の重要性が説かれているわけだが、最終的にどのようなタイプの教師が自分に合うのかは、人それぞれ異なるわけだ。そして、教師に師事することが不可能な人にとってのアドバイスも網羅されているので生き方の参考になるだろう。

原書は大著のようで邦訳版では上下巻にせざるを得ないくらいの文字数になったのだと思うので第1巻は第13章までが収められている。

スピリチュアリティにもつながる“真の愛”は書籍や他人の経験から得ることはできない。自ら愛というものを経験せずには分からない。愛する人を失うことによって鬱病やパニック障害、闘病などを経験することで初めて愛が分かると思う。

はじめに紹介したウィルバーも愛する人を献身的に支えた末に失いたくないのに永遠の別離を体験したことで、真の愛を認識できたのだと思う。それは偶然に起きた出会いから始まった「たった一回の真の愛、一度限りの愛の物語」だと思うが『グレース&グリット』上下巻、霊的教師を持てない人は参考になるかもしれない。本書を読み終えたら手にとってみるのもいいかもしれない。

私自身の「グレース&グリット」は、2015~2018年の間に起きた物語。あなただけの「グレース&グリット」を探すのも良いけれど、私自身も偶然に始まった運命だったので誰にでも当てはまるものではないけれど…。

愛する人の命を救うために自分の心臓を提供できますか?

愛する人の子どもの命を救うために自分の心臓を提供できますか?

上記の問に「はい」と答えられる、愛する人はいます(いました)か?

この問いに「はい」と答えられる人はスピリチュアルな道を歩む準備ができた人だと思ったりする。これから始まるのだと思う。それまでは何にも始まっていない人生の練習期間だったりする。

20代後半に霊的探究を始めて約13年、30代に入った頃には生意気にも「スピリチュアルな愛がわかった」と思ったようなふうに書いていたが、人間40代に入ってもスピリチュアルな道は、まだまだ始まったばかりだ。スピリチュアルな道を歩むのは大変なものだと改めて思っている。

これから何が始まるのだろうか。
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